[kouryukan 479] 跡取り息子 2000/7/24 杉山要 |
2000/07/24 21:09 Subject: [kouryukan 479] 跡取り息子 下界の皆様、猛暑の中いかがおすごしでしょうか。 私は昨日休んで家にいて発見しました、夏は山の木陰で仕事をしているのがいちばん楽なのだと。。。 川上、特に御所平の、(大西さんのお宅のようにソーラーシステムのない)ブロック積みの村営住宅は、日中をすごす場所ではないようです。 中嶋さんのおはなし、とても興味深く読ませていただきました。 「晴耕雨耕」は、私も自分の境遇を嘆き、ある方へのメールにくっつけたことのある言葉です。晴耕雨読にはあこがれますが、なかなか現実にはなり得ないのですね。ましてや第一次産業がここまで合理化され、能率重視に固定されてしまった現代では、やはり晴耕雨耕なんでしょう。 循環する時間と流れ去る時間、そして「継承」。 私が川上に来て子供達を見ていて感じたことを書かせていただきます。 よく「親から子へ、子から孫へ」と言われますが、この村で気づいたのは、そうではなくて、核家族がはびこる以前の状態では「親から孫へ」が多くの部分をしめているのではないか、ということでした。たとえば平成の世の中で、銃後や戦地の話を家に居て聞くことのできる小学生が、都会にどれほどいるでしょうか。またこんなことも聞きました。小学校入学前の子供が、祖父母からこんなことを言われながら育つのだそうです。「うちには女の子しかいないから、おまえが婿をとらなきゃなぁ。。。」 時代が変わり、方法は変わりつつも、まちがいなく循環していくのではないでしょうか。 H.D.ソローという人が書いた「森の生活」にある、以下の部分に大変な衝撃を受けたことがありました。はじめて目にした当時は、「まったくその通り」、と鵜呑みにしていた部分です。 「ぼくは、農場や家や納屋や牛や農具を相続すると言う不幸を 背負った町の若者を見ている。そうしたものは、手放すより 手に入れる方が楽なのだ。時分たちがどういう野原で働くのかを 曇りのない目で見られるように、広い草原に生まれ、狼に 育てられた方がよかったのに。彼らを土の奴隷にしたのは 誰なのだろう?」 (訳:真崎義博 JICC出版局) しかし、村に暮らすようになってから、この節が頭に残っていたからこそ、農業後継者たちがいかに多くのエネルギーを「継承」のために費やさなければならないか、ということがすんなりと理解できたのです。 跡取り息子達に祝福を。 |